仏像の展示について
2016-05-01


禺画像]
七条の京都国立博物館には時折足を運ぶ。昨日も「ー心をかたちにー禅」を見に行った。
谷口吉生の平成知新館は何度訪れてもシンプルで清々しい気持ちにさせられる。
地味な展覧会なのか、午後も半ば過ぎた時間帯であったのか、観客はそれほど無くゆっくりと見られた。
企画者の熱意と展示工夫が伝わってくる内容だった。
東京ではこのような贅沢な鑑賞はできないだろう、今更ながら関西の地の利を憶えさせられた。

1Fの仏像の常設展示室に降りていつも感じるのだが、仏像が展示されているという違和感を覚えるのだ。
博物館だから展示するのは当たり前のことだが照度の強い照明に晒されている仏像達の表情がなにか違うのです。
ちょっとはにかんでいるような、場違いの場にいるような、お顔をなさっているのです。

学問としての視点と宗教としての仏像と視点は違うと思うのですが、
「展示」という言葉にも何か違和感を覚えるのです。動物園も「展示」といいますね。
他に言葉が無いと思いますが、仏像に対して「展示」という言葉は相応しくないと、
仏像を探求する心は同じだと思いますが、ただ強い照明の下に明からさまにすれば
その本質を追求できるものではないと思います。
仏像は仏教美術でもあり、祈りの対象でもあったそしてあるのですから。
照明でその工夫はできないのだろうか?
なんて考えながら外に出ると白隠さんの大目玉で喝!

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